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【刻印について】 | ||
弊社は、1916年の創業以来、江戸金工から受け継がれた「鉄を刻む技術」を駆使し
「刻印型」の製作を行って参りました。
刻印とは一言で言えば「印(しるし)を刻みつける」ということです。 その方法も多岐に渡っており、刻印型による打刻、彫刻機やレーザーマーカーによる 彫刻、薬品を使ったエッジングなども、すべて刻印加工になりますが、 一般的には刻印型を製作して打刻する加工のことを「刻印」といいます。 (刻印型も通称は「刻印」と呼びますので、紛らわしいかもしれません。) 英語表記は「刻印」=マーキング、「刻印型」=マーキングパンチになります。 | ||
【刻印の歴史と弊社の変換】 | ||
刻印とは、量産品があっての必要品というお話し。 刻印は、量産する金属製品に偽造防止や、製作者の特定、また、オリジナル性を持たせる ために造り始められたと考えられます。その起源はかなり古く、慶長小判に始まる通貨と しての「小判」。これに検印(験印)として打ち込まれるようになったものが一般的な刻印 の嚆矢かと考えられます。 当時の呼び名は「極印」。発音はGOKUIN(ごくいん)だったかと思われます。 小判に押されている「五三桐」や小判師と呼ばれた人の「銘」を鉄製の刻印として製作し たのは、おそらく公儀お抱えの日本刀彫り師か、鍔師だったと考えるのが妥当だと思いま す。 当然のようにこれは、幕府の直轄事業としての貨幣鋳造でしたので、 民間での金物の量産品(鍋釜や農機具ではなく、付加価値の高いもの)が出て来るのは、 かなり時代が下ってからとなります。 明治維新後でも、一般の呼ばれ方は「極印(ごくいん)」だったようです。 帝国時代の造幣局の資料にも、検定極印などと記されてあります。 そしてここから、昔と大きく製造法が変わりました。貨幣(コインですね)は金属を 高温で溶かして鋳物として鋳造されていたものが、機械で圧力を掛けて押しつぶす加工 になりました。(いわゆるプレス加工ですね) さて、この辺りからが我が国の量産金属製品製造の夜明けとなります。 軍隊の近代式銃器、金属食器、腕時計、その他沢山の、通し番号や国名、メーカー名や 日付けを彫り込まなければならない製品が、続々と世に出現して参ります。 それまでのように、一つづつ、直に手で彫刻して行く訳には行かなくなりました。 やがて、需要に伴うように、専業の刻印メーカーが誕生しました。 この頃、弊社の先祖が、伝統工芸としての「鍔師」に見切りをつけ、転業を図っ たであろう事は、容易に推測出来ます。政府の廃刀令から何年かを経ており、 弟子を抱えた一門を養って行くのは、きっと往生していた事でしょう。 幸い、鉄を相手に緻密な彫刻を施す技は、遥か昔より家伝されて来ておりましたので、 転業した途端に成るべくして、一躍有力刻印メーカーにされたのは想像に難くありません。 祖父の親方である 故「伊藤大次郎」がこの転換期に直面していた人物に相当します。 それまでは、毎朝、親方として神主のような装束で、弟子一同と共に神棚に参っていた 旧習慣が、刻印メーカーに転換した途端に、一変した様子が今日に面白可笑しく伝わって おります。まあ、ある意味での「文明開化」ではありました。 |
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【刻印の仕様】 | ||
通常の刃型刻印の場合、その仕様はテーパー角及び深さによって決定されます。 これらの数値も用途やご希望により任意に設定し、全く均一に製作することが可能です。 その他、左図Bの様に刻印面に一定の幅dを持たせたり、d面の梨地加工、精密鏡面ラップ加工、また左図Cの様にd面に丸みを持たせたり、点文字加工などのローストレス刻印等々特殊仕様の刻印も別途ご希望に応じております。 |
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【刻印の材質】 | ||
SKからSKHまで添加物の違いにより4つの種類の鋼材と超硬質合金とに分けられます。 |
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【熱処理(焼入れ)について】 | ||
刻印は超硬合金を除くと、すべて鋼が使われておりますので、熱処理を施して使用いたします。鋼は高温状態から冷却することにより、内部の性質が劇的に変化する特性があります。その特製を利用して理論的に鋼を加熱や冷却をコントロールすることを「熱処理」 鋼を加熱するとオーステナイトと言われる組織状態になります。それを水中または油中で急冷することによって、マルテンサイト組織の状態に変化させ硬度と靭性を高めます。日本刀を鍛える際に用いられる手段でもあります。 |
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【刻印の仕方】 | ||
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【刻印の用途】 | ||
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【刻印の分類】 | ||
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【弊社の刻印の特徴】 | ||
弊社製作による刻印は「高精度」「耐久性」「低価格」の三つの特徴がございます。 |
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